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「東久邇宮記念賞(大衆ノーベル賞)」受賞。

電磁波対策のBhado、「東久邇宮記念賞(大衆ノーベル賞)」受賞

「東久邇宮記念賞の由来」

 昭和天皇の女婿であられる東久邇宮盛厚殿下に対して、私たちは天皇に最も近い皇族として、また、終戦時、はやる軍部をしづめ無血終戦を成功させた東久邇内閣の参謀として、あがめ、親しみの心情をいだいていた。
 東久邇宮盛厚殿下の発明哲学は「発明には上下の貴賤の別はない。小発明も尊い、ノーベル賞を百とるより、国民一人一人が小発明家になる事が大切だ。一億総発明運動をおこしたい」とて発明学会の名誉総裁を引き受けられた。
 実用新案、短縮法の時など「小発明軽視は国をあやうくする」と目の前で総理大臣に電話するほどだった。
晩年、病にたおれられたとき、会長だった私を招いて、
 「わが家の名と財産を使ってよいから、発明につくされた方に記念賞を出して、顕彰してほしい」と。
 この記念賞は、その遺言によって生まれたのである。したがって、名誉顧問には、総裁の夫人である東久邇宮佳子様が現在もなられている権威のあるものである。
 受賞された関東自動車㈱の、林田社長は
 「わたしは勲三等の勲章を賜ったが、そのときよりも感激は強く、またマスコミもかきたててくれた。長く家宝として、子孫のための生きた教育に役立てようと思っている。」と語る。
 また、二大デパートをつくられた岡田吉郎社長も、世界一のリール会社を創立した大和精工の松井社長も、上野の芸術大学の齋藤仁事務局長も、三十周年記念式で、何千人、何百人の人々の前で、受賞された感激を、いまも語りつがれている。
 このように、この記念賞は勲章につぐ、立派なものである。したがって現代までに受賞された人々をあげると、アンテナの発明者、八木秀次博士。ロケットの研究者、糸川英夫氏。
 ノーベル賞のエザキダイオードの共同発明者、助手の黒瀬ユリ子氏。を見出し、賞金つきで顕賞したので朝日や日経は「大衆ノーベル賞だ」と書きたてた。
 世界一のチューインガム発明者、森 秋広社長。世界一のマブチモーターの、馬渕健一社長。ヤシカ、カメラの牛山社長。磁力バンドの、田中正一社長。小物発明者、笹沼喜美代氏。奥野実憲氏。永森忠孝。等多数。
 ユーモア発明の柳家金五楼氏。遠藤周作氏、江戸屋猫八氏。円歌師匠、桂米丸氏。等タレント多数。
 財界では澁沢秀雄氏。生産性本部会長、郷司浩平氏。トヨタ自動車社長、豊田喜一郎氏。
 週刊朝日編集長扇谷正藏氏。日刊工業新聞社長、白井十四雄氏。
 政界では、総理大臣三木武夫氏。中曽根幹事長。東京都知事、青島幸男氏。元総理大臣竹下登氏等々、有名無名の方々が受賞されている。
 平成九年十一月には、発明ビル完成と、私の卒寿の祝賀会のとき、多数の成功者が参加、その内、受賞された有志が「この有為の賞を、もっとひろめて、埋もれた発明界につくした人々にも授けて、その名を手記して有名人と肩をならべて、その功を長く、つたえてもらいたい」とて、広く授賞することになった。
 尚、記念賞の純金銀の指輪は当時、殿下御使用のものと同じであり、それに、「菊の御紋と東久邇宮記念賞」と刻印してあるのは、殿下がアイデアを出すとき、これと同質同形のものを指して、名案を出していたからである。
 「以上が記念表賞状の裏面に記されてある、由来記である」                                                          
                         御臨席の東久邇宮盛厚殿下 

平成九年十一年八日
社団法人発明学会
会長 豊沢豊雄 謹記


広島県、前呉市長も受賞


初めに

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